たしかにそうだ。でもあなたがそれをいうのか?

きょうは牛乳屋さんが訪ねてきた。素晴らしい。どこか平和な響きがある。


でも、僕にとっては全然平和なんかじゃなかった。寝ていたところを何度も呼び鈴を
押された。なぜいるかいないかかわからないのに何度も押すのか?
彼は僕がいることを確信していたのだと思う。そういうものが呼び鈴の響き方に
満ちていた。(「さあ、いるのはわかってるんだ。おとなしくドアをあけるんだ」という確信が)
悪い予感がした。


寝起きで二日酔いのところに、社名が入ったジャンパーに身を包んだ彼は元気よく挨拶をした。 
ドアを開けたとたん冷気が体を包み身構えるどころか弱気になった。
今思えばあのときすでに彼のペースになっていたんだと思う。


「わたくしどもは、新鮮なおいしい牛乳をご家庭におとどけしています。」
「配達は1週間に2回限りですがお客様もどうですか?」
「ぜひお飲みになって確かめてください。」といきなり牛乳瓶を取り出しふたをあける。
慌ててコップを持ってきて注がれるまま、うながされるまま飲み、感想をもとめる顔。
「はあ…おいしです。」とちょっと片言に僕。「でしょう!」と半ば叫び気味に喜ぶ彼。
「でね、オリゴ糖が入ったものもあるんですよ」とさらにたたみかけられ。そそぎ、うながし。
僕飲み。「ちょっと味が違う…」おなじく、「でしょう!」と半ば叫び。
「で、どうでしょう?よろしくおねがいします」と彼。


しばらく考えた。たぶん30秒ほど。僕は普段飲んでいる牛乳に不満なんかこれっぽっちも感じていなかったし、
これからもずっとうまくやっていけると思っていた。それに比べて確かにおいしいが大体倍くらいの値段をするものを
買う必要性なんてないよな、と。「でも」と思う。彼のひたむきさがなんというか無視できない、なにか報いるべき
、報われるべきものに感じた。「これはちょっとまずいな」と思っていると、

「そんなに考えることじゃないと思うんですけどね」と聞こえた。
そうだよねー。と思った。うん?だれが言った?心の声か?いや違う。彼だ。
確かに牛乳とるかとらないかで牛乳とのこれまでのつきあい方とか彼のひたむきさうんぬんとか考える必要性
はほとんどないよ。わかるよ。でも、あなたがいうセリフなんだろうか?


まいりました。うん。牛乳って健康にいいしね。
そしておいしいのは何よりだ。うん。とろうじゃないか。
そしてめでたく、週一回牛乳一瓶とどけてもらうことにきまったのだ。


「でも…」と思う。